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読んでくださってありがとうございます

ここ数日、読者登録をしてくださったり、☆をくださったり、コメントくださったりする方がいて、本当に嬉しく思っています。ありがとうございます。

 

パソコンに詳しくなくて、ただ書くことしかできないうえ、思いつくままに書いているので、飾り気のないブログになってしまっているにもかかわらず、あたたかい言葉をかけていただき、励みになっています。

 

1人でも私のブログを読んで、元気になったり、希望をもったり、安心してくださる方がいたらいいなと思っています。

 

これからもよろしくお願いします。

時間がかかって良かった

これまでの記事をお読みいただけると垣間見えるかと思いますが、うつが寛解するまでの、私の状態というのは、本当に不安定で、ジェットコースターかのように急激に具合が悪くなったりしていました。我ながら、危なっかしかったし、怖かったです。。

 

3か月でうつが寛解というのは、一般的には早い回復だと思いますが、YSこころのクリニックに一緒に通っていた方の中には、1回の2dayカリキュラムで寛解って方もいたし、期間ももっと短く寛解された方もたくさんいます。

そんなクリニック仲間の姿や体験談を見聞きして、当時はかなーりうらやましかったです。劣等生かと思って、落ち込みました。

 

でも、今振り返ってみると、本当に時間がかかったことが、アップダウンがあったことが、良かったと思うのです。

  • 苦しんだ分だけ、たくさんの気づきがありました。それが自分にしっかりと根付き、生きるうえでの土台になっています。どうして治ったか、自分自身で体感することができました。だからこそ、再発することはないと言い切れるのかもしれません。
  • 時間がかかって、たくさん通った分だけ、たくさんの出会いがありました。実際、そのご縁で、新しいお仕事も決まりました。
  • なかなか好転しないと悩んでいる人の気持ちを思い図ることができるようになりました。
  • 講師やカウンセラーとして動き始めたとき、何より、自分自身の苦しんだ経験が財産になっています。
  • 自分の使命を追究し続けられています。

 

ほかにもきっとたくさんあると思います。

 

周りの方や、これを読んでくださっている方は、「かわいそうに」とか「こんな思いしたくない」と思われたかもしれません。

 

でもすべて、私にとって、大切な大切な財産です。

うつが”完治”

うつ病をはじめとした精神疾患は、再発率の高さなどの理由から、完治とは言わず、寛解と表現するそうです。

ですが、私はここではあえて、”完治”と表現したいと思います。

 

私は、寛解してから1年半ほどですが、落ち込んだことはあっても、1度もうつ病と診断されるような状態に戻ったことはありません。薬も飲んでいません。

これからも再発することはないと思っています。むしろ、うつ病発症以前よりも、穏やかに元気になっています。

なぜなら、満月の法則を用いたメソッドにより、根本解決したからです。

 

 

精神疾患と診断されると、もう一生治らないのではないか、病気と共に生きるしかないのではないか、そんな風に感じる人も多いのではないかと思います。

実際、私自身、家族や生徒たちを見ていて、そう思っていました。

 

 

でも、治ります。

だってもともとは、病気なんてない、素晴らしいあなただから。

 

 

どうか諦めないでほしいです。

希望をもってくれる方がいますように。

うつが消えた日

4つ目の2dayカリキュラムから3日後、また、希死念慮に襲われました。この数日の間に、味覚が戻ったり、趣味のお菓子作りができたり、いろんな変化がありました。遺書も捨てて、良くなったと期待していたので、かなりショックでした。

 

翌日、クリニックでショートカリキュラムに参加しました。そのときに、カウンセラーさんに希死念慮のことを話している中で、周囲の人に対する感謝はたくさん感じているが、自分のことを一切認めていない、ということに気づきました。自己肯定感、これが私の一番の課題だとはっきりしました。

 

そしてその翌日、またショートカリキュラムに参加しました。父のことを思い出していたときでした。

私は、幼いころから、父に厳しくしつけられました。機嫌が悪いと八つ当たりされることも度々あり、父が怖くて仕方ありませんでした。「お前がこの家にいるからつまらなくなる!」と言い放たれたこともありました。「なんでわからないんだ」「お前はだからダメなんだ」そんなことばかり言われていました。3人兄弟ですが、こういう扱いを受けるのは私だけだったので、いつも、私はだめなんだ、私はいない方がいいんだと思っていました。

かわいがってもらった記憶もたくさんありますし、学費を出してもらったり、習い事をさせてもらったり、頭では父の愛情を理解し、感謝もしていましたが、どうしても「愛されている」という感覚をもてずにいました。

 

ワークの最中、父のそういった姿を思い出していたときでした。

父が厳しくしてくれたから、苦しかったから、人の気持ちを大切にするようになった、人の痛みに敏感になった、「そのままでいいよ」と相手の人に伝えたいと思うようになった。私が人生をかけて大切にしてきた、人を思う気持ちは、父からプレゼントされていたことに気づきました。そして、私は、ずっと父から愛されていたこと、そして、自分自身のことを大切にしていたことに気づきました。

その瞬間、今まで感じたことのない、あたたかい気持ちがあふれてきました。

生まれて初めて感じた、自己肯定感でした。

 

 

午後になり、今度は、希死念慮について取り組みました。

初めて、心から、泣きました。辛かった、苦しかった、と泣くことができました。

それまで、どんなに苦しくても、人前では笑っていました。泣けませんでした。心と表情がつながりませんでした。心と体の分離感があって、確かめるように自傷行為もしていました。

心と体が一致した瞬間でした。

でも、その時は何が起きたのかわからず、放心状態でクリニックを出ました。

 

 

帰り道、突然、涙があふれてきました。

「つらかったね。苦しかったね」

そんな自分の声が聞こえて、ただただ泣きました。

「おかえりなさい、私」

自分を取り戻したような感覚がありました。

そして、ふと気づきました。

 

うつがない。うつが消えた。どこを探しても、ない!

 

うつが消えた瞬間でした。うつが寛解した瞬間でした。

クリニックの初診から、87日目のことでした。

2dayカリキュラム④

2015年9月26日、27日、4つ目の2dayカリキュラムを受けました。瞑想の方法を習い、実践するものでした。以前は、瞑想なんて宗教家がやるやつ?効果あるの?という思いもありましたが、前日の一件により、とにかく真剣にやろう、それだけでした。いつでもどこでもできる、というのも、当時の私にはとても魅力的でした。

 

瞑想をしていく中で、走馬灯のように、今までお世話になった方々を思い出しました。その中でも、ホストファミリーの存在がとても印象的でした。遠く離れていて、普段は会うことはないけれど、いつも本当の家族のように大切に思ってくれている、そして彼らに出会えたことがどれだけ奇跡的でありがたいことか、どれだけ今までたくさんの人にかわいがってもらってきたか、私はたくさんの愛情に囲まれている、このたくさんの大好きな人たちとの出会いがないなんて耐えられない…

初めて、私として生まれて良かったと思いました。両親に心から感謝しました。

 

また、今まで保健室で関わった生徒たちのことも思い出しました。自分が精神疾患になったこと、そして思うように良くならないことに歯がゆさを感じていましたが、そのことにより初めて彼らの気持ちがわかった、彼らの尊さがわかったと思いました。私は、彼らのことがわかりたかったんだと思いました。うつはそのために必要な経験だったと気づきました。

 

そして、結婚したい、子どもがほしい、という思いも沸き上がり、なんとなく、未来の旦那さんの顔が浮かびました。そのときは、単なる妄想で信ぴょう性のかけらもないと思いましたが、主人の姿とよく似ていることに、今気づきました…笑

 

このカリキュラムが終わってから、自宅でも瞑想に取り組みました。

やらなければならない、という感覚より、至福の時でした。

いつも頭が騒がしく、マイナスなことばかり考えてしまう私にとって、そこから離れられる貴重な時間でした。また、自己犠牲的な行動がくせになり、自分を大切にする方法がわからなくなっていましたが、瞑想は、100%自分のためにする大切な時間でもありました。

 

カリキュラムを終えて2日後、死のうと決めた場所へ行き、遺書をやぶって捨てたのでした。

恨んでいた人

もともと自分を責める方向にいくので、人を恨んだり、憎んだりということは少ないのですが、どうしても心にひっかかる人がいました。

 

うつ病を発症するきっかけとなった職場の方々と、主人の前の奥さん。

 

職場の方々については、こうして幼少からの苦しみから解消され、主人と結婚できたのは、まぎれもなく、その方々のおかげということはわかっています。そして、当時は、いじめられてる、嫌われてると思っていたけど、期待してくれていたのかな、とか、一生懸命教えてくれていたのかな、と思えるようにもなりました。

 

しかし、それにしてもやりすぎじゃない?ひどくない?理不尽じゃない?

しかも私はうつになって苦しんだのに、その人たちは何事もなかったかのように仕事を続けられる。

こんなはずじゃなかった!一生養護教諭を続けるつもりだったし、あの人たちに出会わなければ、うつにならずに養護教諭続けられたのに!!

 

なんていう、責める気持ちが手放せませんでした。今、こんなに幸せだけど、「この恨み忘れてなるものか!」みたいな感じ笑

 

 

主人の前の奥さんについても、前の奥さんがいてくれなかったら、出会うことも結婚することもなかったわけで、恩人なはずなのに、恨む気持ちがどうしても湧いてしまう。

 

 

それが、先日、主人の仕事を見て、帰ってきた夜のことでした。

突然、涙があふれてきました。

満月の法則に出会わなければ、主人と出会わなければ、今の私はありません。

今頃、この世にいなかったかもしれません。

そのことが繋がり、今ここに命があることのありがたさとともに、「みんな命の恩人だ!」と感じて、ただただありがたくて仕方なくなったのでした。

いじめてくれなかったら、私はずっと自分を生きることはなくて、苦しい毎日を過ごし、今頃、死んでいたかもしれません。

主人と離婚して、私と出会わせてくれなかったら、今の幸せはありません。

 

みんな命の恩人。自分を生きて、最高に幸せな人生を歩くために、導いてくれた恩人。

恨んでる人から恩人へ、大逆転した瞬間でした。

死を決めた日

2dayカリキュラム④の前日のこと。

またしても突如として、希死念慮に襲われました。しかも、外出中。もう今すぐに電車に飛び込むか、ビルから飛び降りて死のうという気持ちで頭がいっぱいでした。

 

前の記事の出来事があってから、苦しいときは頓服の薬を飲みましょうという話になっていたので、とりあえず、薬を飲みました。

 

薬を飲むと、荒れ狂った心は少し落ち着きましたが、死にたい思いは変わりません。

そして急に冷静になりました。

「明日、死のう」

初めて、死ぬことを決めました。その瞬間、とても気持ちが楽になりました。明日死ぬのならば、身辺整理もできる。そう思い、家に帰り、身辺整理をすることにしました。帰りの電車では、自殺の方法を調べ、場所と手段を決めました。

家では片づけをして、両親とお世話になったクリニックの先生方に感謝の手紙を書きました。

 

そして就寝。朝起きたら気分が変わっていたらいいな、そんなことも少し思いましたが、翌朝になっても、その決意は変わっていませんでした。

 

しかし、その日は雨でした。私が決めたその場所に行くには車が必要でした。それなのに、雨だったために予定外に父が車を使っていたのです。

 

今となっては、父によって命救われたのですが、その時は怒り心頭でした。

 

イライラしながら父の帰りを待ちました。その間に、テレビのニュースが目に入りました。川島なお美さんが亡くなったニュースでした。

 

胸に衝撃が走り、心が急に苦しくなりました。

一人の死により悲しむ人がこんなにもたくさんいること、生きていることの尊さ、一つの命の重さ…言葉にできませんが、一瞬にして、私の決意が揺らぎました。

 

もう少し頑張ってみよう。

明日は4回目の2dayカリキュラム。とにかくやってみよう。もしかしたら助かるかもしれない。

 

かすかな光が見えました。

 

 

父が守ってくれました。両親から授かった命を、こんなに大事にできない娘だったけど、それでも父は見捨てずに守ってくれました。

そして、川島なお美さんの命が、私を救ってくれました。

 

忘れられない1日でした。